151022【summary】

vol.495

帰国より16日。
帰国までの日記を大量に溜め込んでいた。
そのせいなのかどうかわからないがこの日記の今後のやり方を踏まえ、やりきれない気持ちでいっぱいだったのだが、ようやく帰国日までを整理することができた。

総括をしなければ一区切りつかないだろうということで今回はこれまでの日記を振り返りながら、今後の行く末についてどのように考えているのかここで綴れたらと思う。

はなからここまでこのブログが続けられると思っていなかった100回目。何事も集中力が続かずに三日坊主になることなど当たり前だったこの自分が、ブログという些細なことを継続的に続けられたという事実にまず嬉しかった。
とんでもなく些細なことも書くことに価値がある。と実際に日記でも書いている通り、今こうして振り返ることが出来たのもこの100回が達成出来たからだと思う。

次第に公私ともに生活が落ち着いて来て実は書くことも薄くなってきたと感じていた200回目あたり。私生活での面白いことから徐々に建築に対する考えだったり仕事のことであったりと視界が広げられる余裕もでてくる。
書く特訓はこの日記を通してとても勉強になるのだが、ベトナムという環境下では読む機会が極端に少ない。日本とベトナムの建築環境の差異はあまりにも大きく、設計する上でも苦難する日々ばかりだったのを思い出す。

バイクを手に入れ行動範囲が広がったのが大きかったのだろうか、おおよそ1年が経ちはじめる300回目までにはハノイで人間関係のネットワークが出来てきて、これまで過ごすことの多かった1人の時間も誰かと共有するようになってきたのだった。人との関係性が新しい出会いをつくりだしそれが次第に広がっていく様は日記をたどっていくことでより明確に見える。
何故かそうあることを避けたかったのだが、ものすごく人との繋がりを大切にする人間だったことを知る。だから仕事場で相手とぶつかることも多く、精神的に起伏が激しくなってしまうのだった。 自分の立ち振舞が同仕様も嫌でたまらなく、稚拙だと思うこともしばしば。
そういう浮き沈みに悩まされ相手との関係を断ちきることが1番自分にとって楽だと考える時もあったが、考え方の違う多くの人と話すことが自分を特訓させる場所でもあった。

目線の方向が変わっていく時期に差し掛かる400回目 人との繋がりで生まれた個人の仕事などベトナムでの可能性が次々とめぐってきていた時期だったが、この時期から日本に帰国する決意を固めたのだった。やりたいこともまだあるし、やれることもこれからごまんとあるだろう。
ただ、ハノイに何をしにきて、何を得るのかという趣旨からすると、やはり今ここにいてもしかたがないという思いしかなかったのも事実。
満たされてしまった。

何よりやりたかったことは竹の建築についてだった。ここにきて幾つか竹のプロジェクトにも加わったし、色々教えてもらったりもしたが、結果として1つも建物は建たなかった。
だから「ベトナムで竹建築やるんじゃなかったの」といわれることもしばしば。
がむしゃらに食いついて、しがみついてまでこの竹建築について探求し建物を建てることがここにくるゴールではなくなっていたのだ。
竹建築は大好きだし、その空間を多く味わうことができたのは幸せだ。竹建築を扱う最高の環境(設計事務所)にいられたと心から思っている。
だが現実には竹建築はそこで完結しているものであり未だパビリオンや屋根部材という領域を越えられない。そう考え始めた時に悲しいくらいに竹建築への関心は薄れた。それよりも事務所で取り組んでいたlow cost house(低所得者用住宅)の方がよっぽど面白い。

一方でベトナムという開発国をこれからつくっていく一人の建築家として活動できる価値はあった。この1年半絶対に日本では経験できない事も体験出来たわけである。
更にいうとVo Trong Nghia Architectsの作品集を編集者としてつくったことこそがこれからのベトナム建築に少なからず編集者という立場ではあるが責任を果たせたと思っている。

じぶんにとっての【建築】とはなにか。
それは「住む」という当たり前のことに喜びを感じ、安心できる空間。
何も奇抜なものやおしゃれなつくるためのものでなくていい。
この世界に生きる出来る限り多くの人に安心してもらえる空間づくりを考える方がよっぽど自分には価値を感じた。そのコンテンツとしての竹でしかなかったのかもしれない。そういった意味ではこれからも自分の建築人生に竹はあってはならないものかもしれない。が、間違ってはいけないのが竹ありきの建築ではないということ。

その上でまだ現場経験が足りないのは事実。なのでどこの場所にいようが実務経験は積んでいきたいと考えている。そうして少しずつ自分自身を設計者と恥じなく言えるくらいにはならないと行けないので、尻を叩き続ける決意である。

まずは1月中の1ヶ月は休養することを決めた。
早くも設計をしたいという欲もあるのだが、一週間程静かにしてまた動き出したい。

この日記に関して言うならば、life in vietnam はこの日記をもって完結。
2月からは不定期にでも更新し続けれられるように、また楽しいことをみつけたい。

これまで多くの方によんでもらうことができたこと、心から嬉しく思います。 どうもありがとうございました。

2015.01.22

141230

vol.487

建築ツアー後編
Diamond island 事務所の作品の中でも大好きな竹プロジェクトのひとつ。 直径32㍍の巨大竹ドームは高級レジデンシャル内につくられている。
比較的プライベートスペースにおいてあったのが正直残念。誰にでも入りやすい場所にあればもっとダイナミックにつくることができたのだろうか。
竹のプロジェクトの中でもドームの場合繋ぎ目が気になるのだが形か難しいだけに手作り感が否めなかった。
それでもやっぱり気持ちがよい空間だった。 この国でしかつくれない素晴らしい建築のひとつ。

建築ツアー番外編
Chapel cafe /a21 studio
World architecture festivalの最優秀作品となった作品。特に前情報を抑えずに夕刻に訪れたのもいけなかったのか普通のカフェ。
単一空間なので特に動線があるわけでもなく設計意図も捉えられず、この作品の何が優勝の決め手だったのかいまいち理解ができなかった。

ただ注目されている作品ということもありある程度人が集まつていた。
ベトナムで建築を学んでいる学生はこれを見て何をえて帰るのだろうか。

2014.12.30

 diamond island

diamond island

 chapel cafe

chapel cafe

141229

vol.486

建築ツアー前編
ホーチミンに行き、事務所の作品巡りをさせてもらえた。

Pouchen kindergarten
竣工前に一度見学をしていたのだが2年ぶりに完成後の様子を見に行くことができた。 形先行型の建築にみえるが、形態と機能がうまく合致している合理的な作品。
グリーンルーフィングも無理なくできておりファサードのコンクリートルーバーもはじめはどうかと思っていたが、緑とのつながりをきちんと作っていてマッチしている。
子供達の楽しげな様子を見ていて、この建築の中で成長できるのが本当に羨ましいと思う。 なんでこの納め方にしたのだろうという部分はあるものの、施工精度も1年半での設計経験を経た今は凄いと思えるほどコントロールされている。

この作品を見てこの事務所が好きになった2年前。出来上がった姿を見てより好きになった。
良い作品を残すことはつまり、使い手が楽しいと思える空間をつくりだすことなんだろう。学ぶことの多い作品。

Binh tanh house
この作品ほどこだわりの強いものはないだろう、というほどベトナムの建築にしてはディテールが細かい。
設計者である元パートナーの西澤氏が住まい手になっているこの住宅。
6階建てで大胆にも両壁がスライドガラスになっているため全開放が可能。 熱帯気候のホーチミンだからこそできる空間づくり。
それにしても両方向があいていることで空気の循環がされとても涼しいし居心地がよい。 こんなに面倒な家はない。
という正直者の設計者の解説をききながら見学できたのもよかった。

2014.12.29

 pouchen kindergarten

pouchen kindergarten

 binh tahn house

binh tahn house

141219

vol.476

退職記念 長いようで短いVo Trong Nghia Architectsでの仕事を終える。

初めての海外労働経験ではこれまでみてくることのできない世界をたくさんみせてもらった。 設計者として、
コンセプトレベルでしか関わることができないプロジェクトばかりではありやはり悔しさは残る。言葉の壁の前に建築家として自分の設計趣旨を相手に伝える事の難しさを知った。周りの仲間に学ぶことは多く、時にぶつかったりするのもじつはとても大切なことだった。違う環境で生きてきたからこそ、互いに理解し合えないこともあるんだと。とても当たり前だけど目の当たりにしないと気付けない問題。 とりあえず、これからも設計者として自分らしさに言及しながら成長していきたい。

編集者として、
正直ここまでこの事務所で編集の仕事をすることになるとは思いもよらなかった。しかもおよそ1年間も。
言い方は悪いが、辛かったし胸くそ悪くて嫌だった時期もあった。
でも同時に得意だし好きな分野でもあるのだった。
なんとももどかしい気持ちのままなんとか具体的なスケジュールにまでこぎつけた。
ここまで来るのにもちろん多くの人の手を借りたし、感謝の言葉しかない。早く出来上がったものを見てみたいし、多くの目に届けられるような状況になってくれたらと思う。

編集者としては未熟ながらこういう経験を通して自信がついた。 まだまだやりたいことはあるが、編集者として次に進むにはもっと勉強しなければいけない。時代の流れを読みながらも自分の言葉で語れる、そんな編集者にならなければならない。

こうして新たな目標を見つけることができた。ここに来たからみつけられたのだ。

お世話になった皆様に心から感謝申し上げます。

2014.12.19

141213【Wedding trip in Tran An 2/3】

vol.470

先日の結婚式、スタッフの式に続き近くにあった世界遺産でもあるtrang an に皆で寄り道をしたのだった。
雰囲気は若干ハロン湾に似ているのだがあそこほど作られている感じもまだなくなにもかもが美しかった。 Trang anといえば小舟にのることらしい。皆でグループに別れて舟に乗り、そこから3時間という最高に楽しい水上体験をした。
いくつもの洞窟の中をくぐり抜けるのだが、本当にスリル満点で思い切りかがまないと平気で頭をぶつける。

こんなに自然豊かな中、ゆっくりとした時間を過ごせるのも幸せ。
こうして仲の良い仲間と過ごせる時間も貴重なのだ。来た頃に比べればベトナム人との距離も違うし、互いに接し方も変わったように思う。

純粋で素直で、そして人懐っこいベトナム人スタッフとともに過ごせたことを誇りに思う。街中でぼったくれたりとベトナム人にいやな気持になることも少なくなかったが、今目の前にいる大切な仲間は本当に宝物だ。

2014.12.13

 sailing boat

sailing boat

141211

vol.468

In Progress: Bahá’í Temple of South America / Hariri Pontari Architects
建ち始めている。すごい。

プロジェクトベースのときから知っている作品なだけに施工風景をみると無駄に親近感。
チリにある建築なのだが、こんなものがほんとに建つものなのかと少し懐疑的だったくらいだ。 施工風景を見ているとプロポーザルの雰囲気よりも構造が目立つように思う。そして更に屋根部分は{パリの作品}に似たようなパネルが配されていて近くでみるとごつごつしていそうで当初の柔らかい雰囲気が出るのか不安。

それでもこれは実際に竣工したら是非ともこの目で見に行きたいもののひとつ。 2014.12.11

 Bahá’í Temple of South America / Hariri Pontari Architects

Bahá’í Temple of South America / Hariri Pontari Architects

141205

vol.462

2015年のサーペンタイン・パヴィリオンはセルガスカーノがやることが発表された。
スペインの建築家で前職で何回かとりあげたことがある。

作風としては色使いが特徴的で、図面・模型表現もひときわ鮮やかなのでビジュアル表現によっていかにその空間が豊かなのか伝えている。

彼の事務所が作品の1つとして有名だ。アイレベルが地上階までさげられており、森の洞窟のような場所で仕事をしているような楽しい気持ちになる。

彼らの作品で好きなのはAuditorium in Cartagena
プランは比較的普通なのだが、中の空間で思い切り遊んでいる感が面白い。 インテリアからはじまり照明やファサード、ひとつひとつ特徴的でアート作品のようだ。
セクションで遊びまくっているようだし、それぞれの形に対しての意味がまったくつかめない。ただ見ていて楽しめる建物。
それは図面でも伝わってくる。表現方法がいびつだからだ。

そんなセルガスカーノがみせてくれる来年のサーペンタインが今からたのしみだ。
多分いびつで色使い豊かな空間なのではないか。今年の藤本さんのシンプルで繊細な作風とは対照的になること間違いないのではないだろうか。

2014.12.05

 office of selgascano

office of selgascano

141129

vol.456

SPEC GO GREEN AWARDS 2014 受賞式

FPT University というプロジェクトで優勝。
会場はいつも同じ場所で、hoan kiem 湖近くにあるその会場に朝からスタッフ一同向かう。

式はミスベトナムとやらの司会進行の元進められ、なにより授賞式の粗品がすごい。 ペンから始まりブックレット、カラーサンプル、CD、カレンダー、Tシャツ…これだけもらう必要があるのだろうかというくらい重い…いらないと嘆きながら暑さのなさ式を終える。

こうしてまたいつものようにアイスを食べて仕事に戻る。 そんな土曜日。

2014.11.29

141128

vol.455

lmnarchitecture.com

第18回 文化庁メディア芸術祭、エンターテインメント部門の審査委員会推薦作品に選出さらたという朗報。

文化庁メディア芸術祭とは…アート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門において優れた作品を顕彰するとともに、受賞作品の鑑賞機会を提供するメディア芸術の総合フェスティバル。今年度は世界71ヶ国・地域から3,853作品の応募があった。

受賞作品展は2月4日(水)から2月15日(日)まで、東京・六本木の国立新美術館を中心に開催されるらしく、早速宣伝。

着々と、一歩ずつ。

2014.11.28

141127

vol.454

粘土による模型作りのコツを教えてもらった。
これまでも何度か粘土模型はこの事務所で作ってきたが、毎度毎度納得いかず。 それどころが不格好なものをつくってしまうことに恥ずかしささえあった。

たった1つのコツを知ることでこんなにも嫌いになりかけた粘土が好きになれた。
はたからみたらとても単純で当たり前のことだし、何を言っているのだと笑われるかもしれない。
そんな基本的なことに気づけずに闇雲に突っ走っていても時間の浪費であり 全く前の雲は晴れない。わかっていてもなかなか気づけなかったりする。

そうした盲目な自分にヒントを教えてくれる人がそばにいてくれることのありがたみを知る。 同時にこうしてまだまだ知らないことばかりなんだなと反省。

基本的なことをしっかり身につけること、忘れぬように心がけよう。

2014.11.27

141120

vol.447

NAP建築設計事務所の中村拓志 狭山の森礼拝堂

2014年度グッドデザイン・ベスト100のプレゼン。

作品をみるつもりが、狭山湖半霊園の墓地の美しさに目をもっていかれた。
自然の囲まれ方がこんなにも素晴らしい墓地があるのだろうか。
実際にいったわけではないので想像でしかないのだが墓地の暗く物悲しい雰囲気を一切感じさせず、むしろとても明るくそこにいても心が落ち着きそうなほど安心できる場所に見えた。

今の事務所について「自然」についてしっかりと考えるようになった。
それまではうわっつらで「緑」について考えていた。半ばランドスケープほど手をだしたくない分野はないと思っていた。
大都市に住み緑がないことが当たり前の世界で生きていて緑について考えて下さい
というほうが無茶な話。 ハノイも十分に都会なのだが、なんとなく自然との繋がりを感じられる。一歩市内を出ればすぐに自然に囲まれるのも事実。ここにきて自然と共生することの有り難みを実感できたようだ。

話を狭山湖半霊園に戻すが、「生と死」はよく建築課題でも取り上げられるが何か象徴的な、神秘的なものなんてちっぽけなのかもしれない。 中村さんが設計した礼拝堂。建築それ自体はその空間にいったものにしかわからないが、時間を止めて「考える」きっかけをつくる場所を自然を介してつくろうとしているのだろう。

見に行く前と見に行った後の気持ちにどれだけの差があるのかも知りたい。

2014.11.20

141119

vol.446

JIA MAGAZINE309を読む。
読み物が少ないこの国で、デジタルで読める媒体には感謝しかない。

良い建築を生むには建築家の挑戦が必要
トム・ヘネガン氏

何かを語らなくなってしまった建築
半分理解し半分納得できなかった。
でも言っている事は正しくてCADが普及したことでトライ&エラーの回数は愕然と多くなった。時間をかけない分、とりあえずやってみようと手を動かすことだったある。ましてや3Dなんてあれば図面見せずして建物を説明できたりするわけで。

「例えば、フランク・ロイド・ライトの場合、ライト自身が描いたロビー邸のドローイングがあって、ある決まった角度から見るとその建築が最も魅力的に見えるということがあったわけです。実際、現地に行くと、同じアングルから写真を撮って満足するわけです。
 ところが、最近の建物では、SANAAのものでも石上純也さんのものでも、決まった視点というものが建物にありません。ですから、訪問すると多数の写真を撮ることになるわけですが、戻ってそれらの写真を見比べてみても、どれがベストだといえないわけです。…中略…建物は、「何か」を語らなければなりません。何か、質だとか、歴史だとか、美術館であれば社会の中の役割であるとか、「何か」を言わなければならないのです。最近の建物は、ただそこに存在している。」(抜粋)

まず彼の話は形態に注目している。とするならば、視点がなくなったのではなく多数に分散されたのではないだろうか。そしてかならず一点の決まったアングルがあることが重要なのだとしたらそれは情報社会の中での話なように思う。(実際に写真を見比べてもといっている)
しかもそれが前提条件としてあることもどうだろうか。丘の上にあるからこそ落水荘はあの形としてあの最高のアングルを獲得できている。もちろんコンテクストを読まずに建築家の建築論を全面に押し出してつくることが建築家の役割だとも思わない。(だからといってSANAAや石上純也が機能美として評価されているとも言い難いのだが)

彼の言う「ただそこに存在している」というのが。建築家の暴力のようなそんなマイナス要素としての語りかけのように思ってならない。
ただ存在していることが100年、1000年続いていたらどうだろうか。それほど周りから愛されて評価されている建物はないと私は思う。
存在したくても、国立競技場のような価値のある建築でさえ取り壊しの対象になるのだ。

こういう考え方は彼が言うように、「寿命の短い日本の建築」の中で生きてきたからでてくる発想なのだろうか。愛されないものはいつのまに消え去るだけなのだ。
金の無駄だといっているがそれで経済が周り、時代がつくられ、建築の歴史ができる。人は失敗から学ぶのだから、このような繰り返しは社会のみならず建築史にとっても意味があることではないだろうか。

建築を保存することに優れたヨーロッパの建築論とは違うかもしれない。
でもだからこそ、今多くの建築を見る機会が与えられそこから学ぶことが出来る。

私だったら、
「ただ存在しつづけてしまった」といえるものをつくりたい。

2014.11.19

141114

vol.441

社内コンペだったのだけど、毎度後悔と反省することばかり。
今回は形で攻めようと思ったくせに形のスタディがなさすぎて結果グダグダ。

模型を作ったら余計にダメだと気付かされ、だからといって時間的に後戻りもできないためひたすら惨めな気持ちに浸る。
昨夜にコンセプトが浮かんだ時の自信満々の自分が全くいなくなり、むしろ穴があったら入りたいみみっちぃ小動物になっていた。

いつもそうなのだが、脳内のものをアウトプットするのがとてつもなく弱い。
もっともっと勉強したい。もっともっと欲深くなりたい。

悔しかったけど、それでもやっぱりやってよかった。途中まで中途半端なきもちだったらやらないほうがましだと逃げていた自分だけは褒めてあげたい。

2014.11.14

141113

vol.440

フランスでお会いして以来何度かお会いしたことがあるのだが、建築家田根剛氏がスパイラルで展示をしている。 パリで建築事務所Dorell.Ghotmeh.Tane Architectsを主宰している田根さんは、どのプロジェクトにおいても徹底したanalysisをもとに進めているらしく、事務所に伺った際打合せ場所の壁一面にびっしりと分析内容が貼られていて感動した印象がある。

建築設計のみならず舞台演出だったり今回のようなインスタレーションだったり、面白い事をたくさんやっている。6万個の地板を使って演出しているスパ

【"LIGHT is TIME” ミラノサローネ2014 凱旋展】
会期:2014年11月14日〜11月24日
会場:スパイラルガーデン(スパイラル1F)東京・南青山
詳細:www.spiral.co.jp/eschedule/detail1256.html

2014.11.13

141111

vol.438

本日正式に了承を得たので発表。(得たのかわからないがラスボスに報告完了)

勤めてきたVo Trong Nghia Architectsを辞めることにしました。

前職同様約1年半と短い期間だった。
何を言われようと全く後悔していないし、自分としてはここまで計画範疇であり順調。 突然に舞い込んだベトナムで働くというチャンスに飛び乗り、周りからしたら都落ちのような人生を歩んだわけだが、自分にとっては大きな成長であり誰にも経験できないであろう人生をおくれている。

これまでに6プロジェクトに参加し、更にベトナムで初めてのモノグラフを制作した。(今もまだしているのだが)
コンペを入れたら10以上のプロジェクトに関わってきたことになる。
これだけでもう十分日本ではできない経験だと思う。ベトナム人建築家の本をつくることもできなかっただろう。

未完だらけで実際にできあがってない。確かにそうだし、ボスにもまだ学び足りないと言われた。
ただ甚だ無意味な議論だと思う。出来上がっているものが完璧なのだろうか。学びき終えるとは視覚化できるものなのか。自分の生き方に対して客観的に物事をみることは大切だが次のステージに上がるほうが優先。
磯崎さんのUNBUILTではないけれど、いつかこのプロジェクトが未来のベトナムに何か意味のあるものになるかもしれない。

というわけで、実際に次に向かって動き出さなければいけないという現実が舞い込んできた。急に恐怖に襲われたり、夢で仕事のことばかりみるここ数日。
すでにあらゆる選択肢があったりするので、ベトナムにいる残りの期間は存分に考える時間にしたい。

宣言したことですっきりするような気がしたのだが、意外にも重圧がのしかかったようだ。 何かに所属することの安心感は大きいんだと再確認。

2014.11.11

141108

vol.435

久しぶりにマッサージへいき、ソルトスクラブ。
きゅうりの塩漬けになったような気持ち。

さらに久しぶりにテイラーで服を仕立ててもらうことに。
儲け出したのか物価があがっているのか知らないが、以前よりも仕立て料が上がっていて驚いた。

周りをみると景色がやたらと変わっているのに気づく。
電柱が設置され、広告看板が道路にどんどん増えていく。
つい最近まで見ていたはずの景色がまったく違っていることなどざらなのだろう。

街と同じように、いくつになっても変わっていきたい。進むべき方向を模索しながら。

2014.11.08

141106

vol.433

新国立競技場 ザハ・ハディド案の取り扱いについて  磯崎 新

早速全文を読了。
おっしゃる通り過ぎる。
結局賛否しあってる暇なんかないでしょ。早く動けよっていってる。

先月行われた夜学校ではこのネタに関する企画まで開かれた。残念ながら内容は公開されていないのかいまいち分からなかった。参加者のログを見てあさる限りでは、JIAで寄稿したような歴史的な背景に基づく批判をしたわけではなく、ただひたすらに槇さんによるザハ案批判だったと言われている。
その際に審査員の一人だった内藤さんがどのような討論をしたのか分からないが、何にせよ消化不良で明快な解決案がでたわけでもなかったんだとか。

多くの建築家が意見を述べ合う中で、磯崎さんの文章は改めて何をすべきか説いていた。

そこで提案されていた二重橋前広場での開会式案には感動した。
誰もが2020年のオリンピックの事にしか目を向けていない中で、
別にオリンピックに向けて作らなくていいじゃないか、
と言い放ったのだ。確かにそうだ。 オリンピックはきっかけにしかすぎないし、いいものを残すのが建築家の役割ならば時間をかければいいだけのこと。

そうはいっても主催者側の面子もあるだろう。予算の問題もあるだろう。でもこれをきっかけにもまた新しい方向ができるのならば本当に素晴らしい提案だと思う。

そんなお飾りのような建築なんていらないじゃない。

こんなかっこいいことを言える建築家と同じ時間を共有できていることに感謝しなければならない。

それにしても新聞の抜粋の仕方は悲惨すぎる。
磯崎新が「粗大ゴミ」発言なんて書いて、それこそただの批判声明みたいに思われてしまう。
できる限り多くの人が全文を読めるようにするべきだ。

Rethinking the New National Stadium of Japan by Zaha Hadid Arata Isozaki

Two years ago, I felt that the Zaha Hadid proposal chosen through an international competition was a design that presented an excellent image of a 21st century urban architecture, calling to mind the sense of speed of sports competitions. As a resident of Tokyo, I supported the proposal.

However, when I saw the revised proposal that has been presented in detail at the Zaha Hadid exhibition (Tokyo Opera City Art Gallery), I was shocked to see that the dynamism present in the original had gone. What remains is a dull, slow form, like a turtle waiting for Japan to sink so that it can swim away. The sight left me in despair. If the stadium gets built the way it is, Tokyo will surely be burdened with a gigantic white elephant.

I have heard that this revised proposal was made by incorporating the various opinions voiced by different parties after the competition selection was announced, as well as the results of the assessment for constructability, program and budget reviews, and so on. It is quite normal for a project to handle environmental concerns, restructuring of overloaded programs, compliance with an appropriate budget and many other issues. Such steps have to be taken during the process of creating any important public facility. These are just an ordinary part of the job for a professional architect. In spite of this, the revised proposal seems to be turning the stadium into something that will not satisfy people on either side of the discussion about the original proposal. At first, I had no doubt that all the parties concerned were seeking for a design that we can all be proud of in the history of the Olympics. But I was wrong.

The process has been distorted.

As an architect, I have been involved in numerous international competitions as a judge and as a competitor. I have been chosen through international competitions as the designer of major sports facilities such as the Palau Sant Jordi for the 1992 25th Summer Olympics (Barcelona), and the Palasport Olimpico (Palaisozaki) for the 2006 20th Winter Olympics (Turin), and I have experienced the subsequent construction process. From that position, I am particularly concerned with the way the New National Stadium design is being handled at present.

Various opinions as to what to do next are being aired in public. Let me summarize the main points here.

  1. Respect the fact that the Zaha Hadid proposal was chosen through the legitimate process of an international competition.

  2. Acknowledge as reasonable the criticism by experts, architects, and the public that the original proposal is unsuitable to the environment of Jingu Gaien.

  3. Accept that expectations were overblown and that the resulting design greatly exceeded the appropriate budget because the conditions given to the architects in the international competition included an overloaded program.

  4. Do not renege on the international commitment implied by the use of the image of the New National Stadium as the centerpiece of the Olympic bid in both the international competition proceedings and in the media.

These points are not my personal opinion. They simply represent views aired in the media, and they contradict each other. If this situation proceeds unchecked, the people playing a leading role in this debate will all share the responsibility for a result that will remain a disgrace to future generations. As an architect who has experienced similar circumstances internationally, I would like to give my suggestions for how the situation could be handled.

A. Do not use the stadium for the Olympic opening ceremony, which is only a temporary event. Instead, concentrate on creating a sustainable stadium at the present location. Construct a sports field that meets the standards for an Olympic stadium, and also incorporate facilities designed for its continued use after the Olympics and Paralympics. Pay close attention to forming the landscape while taking into consideration the surrounding environment, including the flow of large numbers of visitors.

B. Hold the 2020 Tokyo Olympic opening ceremony at a purpose-built venue outside the Imperial Palace moat in front of the Nijubashi Bridge. This is an opportunity to surpass the format of a opening ceremony on the main athletic field that has been standard ever since the 1936 Berlin Olympics. Such a stage could capitalize on being live for the media age, addressing the 1 billion people watching on TV or online, not just the 100,000 or so people at the venue.

At that location, there is room to erect a three-dimensional grandstand facing a spacious stage larger than an athletic field against the backdrop of the Edo Castle moat, stone walls, and keep. The grandstand could accommodate around 120,000 people. Afterwards, it could be dismantled into 50 parts for relocation to each of Japan’s prefectures, contributing to the creation of parks or stadiums throughout Japan to commemorate the Olympics. Images of the opening ceremony from cameras soaring through the sky and from every other angle can be broadcast to the entire world.

C. Respect the result of the international competition. There are two main ways to interpret a competition decision: The first is to select the proposal. Implement the proposal as-is in its original form. (Judges evaluate the physical form of the proposal, with the architect unknown.) The second way is to select the architect, who created the proposal. (Judges evaluate the potential of the architect.) In the second case, when there are changes to the program, the architect will be the creator of a new proposal conforming to the conditions.

The reason that the New National Stadium proposal is straying off course is because of the insistence on selecting the proposal. This leaves the organizers falling into a trap of their own making. Considering the type of project, the competition should have been selecting the architect as a matter of course. The concerned parties somehow believe that it was only the proposal that was selected, despite its clear Zaha Hadid signature. Ignorance of the conventions of international competitions, lack of understanding, and irresponsible decisions have consequently distorted the subsequent process.

In the Olympic facilities that I have been involved in, it has always been the architect that was selected. When new conditions arose, I dealt with them while further adding on new ideas, and was able to engage with the project from the final design to the management stage. A professional architect should be able to flexibly respond to changing situations. The current winner, Zaha Hadid, is an architect whose talent I discovered 30 years ago and who I have worked with several times thereafter. Her professional skills are outstanding. No matter how difficult the situation, with personal, active participation she is capable of leaving her signature on the design. However, not even a glimpse of that can be seen in the current revised proposal. I have to say that a monumental mistake has been committed.

It is not too late. Return to the winning decision (an international commitment) and consider the two years of discussions for and against it as a review study of the program. Commission Zaha Hadid to re-design the New National Stadium under these new conditions. She is an architect who is eminently capable of responding in such a manner.

In addition, commission the design of an Olympic opening ceremony venue appropriate for the program to Kazuyo Sejima, the creator of the SANAA proposal that remained in contention through to the end of the competition. The handling of the opening ceremony venue should be the responsibility of the promoters of the 2020 Tokyo Olympics.

By taking this route, we can present an event to the rest of the world that is unconstrained by the traditional size of an arena, against a backdrop of scenery that represents the heart of Japan, not just Tokyo. By doing so, we can create a new format for the Olympics of the 21st century, here in Tokyo.

2014.11.06

141104

vol.431

アルゴリズミック・デザインの国際コンペ「ALGODeQ」にて「lmn architecture」が最高賞の「ALGODeQ AWARD」を受賞。

これまた嬉しいニュースが飛び込んできた。
今年に入って次々と賞を受賞している。羨ましいことこの上ないけどまちがいなく努力の結果なので本当に尊敬する。人よりも睡眠時間は短いし、仕事ばかりしているけれど、しっかり結果を残し続けている。おそらくまだまだ走り続けるであろうから、とにかく応援しよう。

それよりも知り合いの多くがこのコンペで受賞していたのは面白い。

Review : Michael Hansmeyer[抜粋]
LMN Architecture makes a convincing case for the potential of participatory design in architecture. It is a robust, innovative system that is only waiting to be expanded.

2014.11.04

141031

vol.427

「幸せな時間の共有」
現在前職の同期と仕事をしている。
去年の今頃はじめて前職と現職での関わりをもった。それはそれで嬉しかったのだが、今回は自分のかつていた部署な上に、同期が担当者ということでより一層幸せだ。

メディア側として建築家と連絡をとっていたのが二年後の現在、逆の立場にいる。
ここに立ち初めて分かることも多く、当時多くの建築家を振り回していたんだなと反省してしまう。

こうしてまたひとつ自分がここにいる意味を喜ばしいと思う。
事務所もここ数年でメディア進出が増えたし、多くの作品が評価されている。事務所の規模が大きくなる事はこれまた嬉しい限りである。

こうやってどの場所にいても全ての繋がりを結びつけながら仕事ができるようにしたい。

2014.10.31

141028

vol.424

金沢21世紀美術館は開館10周年を記念し、“建築”をテーマとした二つの展覧会「ジャパン・アーキテクツ 1945-2010」「3.11以後の建築」を開催

前職でこの企画の話があって早くも2年が経ち、ようやく実現される日がきた。 坂さんの美術館といい、全国津々浦々見に行きたい場所が増えていく。 帰国からの予定をしっかり立てよう。

【イベント情報】
ジャパン・アーキテクツ 1945-2010
3.11以後の建築
会場:金沢21世紀美術館
住所:石川県金沢市広坂1-2-1
会期:ジャパン・アーキテクツ 1945-2010/11月1日から3月15日 3.11以後の建築/11月1日から5月10日
時間:10:00から18:00(金・土曜日は20:00まで)
入場料:一般1,000円 大学生800円 小中高生400円 65歳以上800円(共通観覧券は一般1,700円 大学生1,400円 小中高生700円 65歳以上1,400円)
休館日:月曜日(11月3日、11月24日、1月12日は開館翌日閉館)、12月29日から1月1日

2014.10.28